カラオケを楽しめない人は読んでみて!自分は歌が下手だという事実を受け入れられれば、カラオケを楽しめるようになりました。
自分が歌が下手であることが理由でカラオケを楽しめなかった自分が、自分は歌が下手だという事実を受け入れることでカラオケが楽しめるようになりました。
今回はその経緯をお話しします。
カラオケを楽しめなくて悩んでいる人に少しでも参考になればうれしいです。
自分は歌が下手だという事実を受け入れられれば、カラオケに対する思いがガラリと変わった。
ぼく自身、正直歌が下手で、自分は歌が下手だという事実を受け入れられなかった高校時代まではカラオケに行ったとしてもあまり楽しめず、できればカラオケに行きたくありませんでした。
友達同士でカラオケに行くことになったらすこし憂鬱になってしまうぐらいに(笑)
しかし、大学に入学して一人暮らしを始めてから転機が訪れました。
一人暮らしを始めたことによって自分を見つめる機会が増えたため、自分の内面についてよく考えるようになったのです。
そうするといつの日か、自分は歌が下手だという事実を受け入れていないからカラオケを楽しめていないんだということに気づきました。
それから高校時代の友達とカラオケに行く機会があり、自分は歌が下手だという事実を受け入れた状態でカラオケに行くと、気持ちが今までと全然違ったのです。
他の友達が歌っているのと比べて自分は歌が下手だと落ち込んだりせず、また自分が歌いたいけど難しい曲でも、果敢に挑戦してみたりして純粋に歌うことを楽しむことができました。
自分は歌が下手だという事実を受け入れることで、自分に起きた2つの大きな変化とは。
ここまでカラオケに対する気持ちが変わった理由は、自分は歌が下手だという事実を受け入れることで自分に大きな2つの変化が起こったからだと思います。
- 自分は歌が下手なんだから、うまく歌えないのは当たり前だと”いいあきらめ”がついた。
- ”いいあきらめ”がついたことによって他の人が歌っているのと比べて落ち込んだり、自意識過剰のせいで歌が思いっきり歌えなくなることがなくなって堂々と歌えるようになった。
自分は歌が下手だという事実を受け入れるまでかなり時間がかかった。
とはいえ、自分は歌が下手だという事実を受け入れるまでには、かなり時間がかかりました。
ぼくの場合、一人暮らしを始めて自分の内面について考えるようになって、自分は歌が下手だという事実を受け入れていないからカラオケを楽しめていないんだということに気づくまで2年くらいですかね。
それに、歌が下手であることを認められるほど内面も成長していなかったと思います。
ぼくは高校時代まで、なぜか自分はほかの誰よりも歌がうまいと思い込んでました。
そうすることで、歌が下手な自分を受け入れて傷つくのを恐れて、自分を守っていたんでしょう。
それに、自分はほかの誰よりも歌がうまいと思い込んだとしても、うまく歌わなきゃいけないという思いにとらわれて自分を追い詰めるだけですし、結局は歌が下手な自分を認めたくなかったんだと思います。
さいごに
さいごに自分の考えをまとめるとこうです。
自分は歌が下手だという思いにとらわれて他人と比べたり、自意識過剰になっていては、カラオケはまったく楽しくないものになってしまう。
そうではなく、まずは自分は歌が下手だという事実を受け入れる。
それだけで、無駄に落ち込むこともなくなり、歌が下手な自分をみんなはどう思っているのだろうとか余計なことを考えなくなり純粋に歌うことを楽しめるようになる。
カラオケごときでそんな大げさな(笑)と思われた方もいるかもしれませんね(笑)
でも、自分の内面を見つめ、考え方を変えることで今まで自分に見えていた世界がすべてではなかったことに気づくことが大事だと思います。
家に物が多ければ多いほど、やるべきことを後回しにしやすくなる2つの理由。
やるべきことは人によってそれぞれありますが、これらのやるべきことを後回しにしてしまう原因は共通しているんじゃないか?と、夏休みを向かえ久しぶりに実家に帰ったときにそう思ったので、その共通している原因についてお話ししたいと思います。
それは、家に物が多いと、やるべきことを後回しにしやすいということ。
その理由は2つあります。
- 家に物が多ければ多いほど、誘惑がいっぱいだから。
- 家に物が多ければ多いほど、十分な作業スペースがないから
家に物が多ければ多いほど、誘惑がいっぱいだから
家に物が多ければ多いほど、やるべきことを後回しにさせてしまうような誘惑がたくさんあると言えるでしょう。
特に娯楽の類のもの。ゲームや漫画ですね。
あとは、録画している番組が溜まっていたりすると、やるべきことを後回しにさせてしまいやすいです。
ぼくの場合、実家にゲームや漫画や録画してある番組がたくさんあるので、ついついそちらに手がいってしまってブログが書けなくなってしまいます。
そのかわり、一人暮らしをしているアパートにはそういった娯楽の類のものを置かないようにしているので、やるべきことに取り掛かりやすいです。(とはいえ、ネットやYoutubeの誘惑はありますが(笑))
家に物が多ければ多いほど、作業スペースがないから
たとえば、集中して勉強やブログに取り組むためには十分な大きさの机とイスがあると理想的ですよね。
でも、家に物が多ければ多いほど、そのような作業スペースの確保は難しくなります。
たとえ机とイスがあったとしても、家に物が多ければ色んな物が積み重なって置いてあるせいで片づけないと使えないという状態になっていることが多いと思います。(はい、うちの実家です(笑))
こうなってくると、もはややる気が出ないどころか誘惑に手を伸ばしてしまってやるべきことが頭からすっぽ抜けてしまうことになりかねません。
ぼくの実家は作業スペースがないほど物が多いので、帰省しようものならやるべきことが頭からすっぽ抜けてしまいます。
家に物が多くていいことはほとんどありません。やっぱり片づけましょう。
以上2つの理由が重なることで、
やるべきことはあるが、作業スペースがない。→ 誘惑に手が伸びてしまう → やるべきことを後回し
または
誘惑に手が伸びてしまう → 作業スペースがない → 片づけるのがめんどくさくなり再び誘惑に手が伸びてしまう → やるべきことを後回し
のような負の連鎖が続いてしまい、やるべきことを後回しにしやすくなってしまうのではないかというのが、ぼくがお話ししたかったことです。
家に物が多くていいことはほとんどありません。家を片づけるに越したことはありませんね。
トイレの水道が決め手!ぼくが思う快適な車中泊をするための道の駅を選ぶ基準をお伝えします。
みなさん車中泊をする場合は、どこに車を停めますか?
ぼくの場合、車を停める場所は道の駅です。
車中泊をする場合、食べ物はコンビニで簡単に確保することができますが、トイレや洗顔、歯磨きをするための場所を確保するのは少し難しいと思います。
そこで、道の駅の出番!
道の駅は、道の駅自体の営業が終わってもトイレは24時間使えることが多いからです。
トイレが24時間使える道の駅に車を停めることができれば、トイレや洗顔、歯磨きをするための場所を無事確保することができます。
しかし、トイレが24時間使える道の駅ならどこでもいいというわけではありません。
車中泊がより快適になる道の駅の基準があるとぼくは思います。
その基準とは、道の駅のトイレの水道が蛇口をひねるタイプなのか、センサー感知式なのかどうかです。
トイレの水道が自分で蛇口をひねるタイプではなく、センサー感知式の道の駅を選ぶ
トイレの水道がセンサー感知式の道の駅を選んだ方がいい理由を一言でいうと、洗顔や歯磨きが気持ちよくできるから。
それでは、洗顔や歯磨きをする場所が、水道が蛇口をひねるタイプのトイレの場合と、センサー感知式のトイレの場合とで生じる差を説明していきたいと思います。
トイレの水道が自分で蛇口をひねるタイプの場合...不潔
トイレの水道が蛇口をひねるタイプだと、手を洗うためには自分で蛇口をひねらなければなりません。...当たり前ですが(笑)
ということは、用を済ませた直後の手で蛇口に触れていることになります。
つまり、用を済ませた後の汚い手がなんども触れた蛇口を触った手で洗顔や歯磨きをすることになっています。
これは...かなり不潔ではありませんか?
ぼくの気にしすぎかもしれませんが、気持ちよく洗顔や歯磨きはできそうにないのは明らかです。
というか、蛇口をひねるタイプの水道は普通に手を洗う場合でも、手を洗った後に蛇口をひねらなければいけないので結局手が汚れてしまうという悪循環に陥ってます。
トイレの水道がセンサー感知式の場合...清潔
一方、センサー感知式の水道なら、手をかざすだけで水が流れます。
自分で蛇口をひねる必要がないため、用を済ませた直後の手が蛇口に触れてしまうようなことはありません。
そのため、蛇口をひねるタイプのように蛇口の汚れを気にすることなく洗顔も歯磨きができるのです。
ただし、センサー感知式の水道の注意点として、水を流す時間をコントロールしにくいという点があります。
蛇口のセンサーに感知されないと水が止まってしまうからです。
とはいえ、水が止まってしまったらもういちど蛇口に手をもっていけばいいので洗顔中で目が開けられない状態だったとしてもそこまで不便を感じることはないと思います。
新しめの道の駅なら、トイレの水道がセンサー感知式の可能性大
というわけで、快適な車中泊をするための道の駅の選び方の基準をお話ししました。
じゃあ実際、道の駅のトイレの水道が蛇口をひねるタイプなのか、センサー感知式なのかどうか見分ける目安はあるのか?
それは、道の駅が新しめかどうかです。
ぼくは全国の道の駅を回って統計を取ったわけではないので定かではありませんが、最近(2~3年前くらい?)できた道の駅なら、トイレの水道がセンサー感知式の可能性が高いです。
そのため、快適な車中泊をするなら、2~3年前くらいにできたと思われる新しめの道の駅を利用するとよいと思います。
自分の思っていることを正確に文章化できない問題とその解決法。
自分の思っていることを正確に文章化できない問題は解決できる。
文章にしてはみるけれど、自分が言いたいのはそういうことじゃないんだよなあ...と思い何度も書き直し、いつの間にか...あれ。おれ何が言いたかったんだっけ...??ってなっちゃうこと、ありませんか?
ぼくはめっちゃあります。
しかもブログを書いているとき以外にも!
特に口コミを書くとき。
アマゾンの商品レビューを書くときなんて、なかなか書きたいことがまとまらないし、何が伝えたいのかも分からなくなってしまうこと多数...
他には大学のレポート課題なんかもそうです。
とりあえず字数だけは稼いで、肝心の内容が自分でも何が何だかわかってない内容...みたいな。
自分の思っていることを正確に文章化できれば、確実に今の自分を変えられると思います。
自分の思っていることを正確に文章化することができれば、おそらくメリットだらけ。
ぼくが最初に思い浮かぶのは、ブログや口コミ、大学のレポートが書きやすくなることぐらいですが、他には頭の中を整理することができるので、思考がクリアになり、頭が冴えるとか。
それに、自分の思っていることを正確に文章化できるということは、いろんな場面において役に立つと思います。
仕事やプライベート関係なく。
アウトプットをする機会を増やすことが解決法。アウトプットする方法はいくらでもある。
自分の思っていることを正確に文章化できるようになるためには、アウトプットする機会を増やすのが一番だと思います。
自分の思っていることを正確に文章化できないのは、そういった自分の考えや思っていることをアウトプットする機会が少なかったからです。
とはいえ、アウトプットする機会を増やすと言っても、どうすればいいのか?
それは、↓の記事でも少しお話ししましたが、アウトプットする方法はいくらでもあります。ブログを書くとか、ツイッターでつぶやくとか、人に話すとか…
もっと気軽にできるアウトプット方法もあります。
それが、Youtubeの動画で、自分の感想をコメントすること。
動画を見て、自分が思ったことをコメントするのも、アウトプットの1つです。
気軽に動画を見て、気軽にコメントを書く。普段動画を見て一日中過ごしてしまいがちな方(ぼくです)に特におすすめ。
他にも探せばいくらでもあるはずです。自分に合ったアウトプット方法を見つけて続けてみてください。
ぼくもブログ以外でも積極的にアウトプットしていこうと思います!
とにかくなんでもいいから記事を書こうと思えるようになった動画から学んだ4つのこと。
たださえブログを書くのに慣れていないくせに記事の質にこだわり、まったく記事を更新できていなかったぼくが、とにかくなんでもいいからアウトプットしようと思えるきっかけとなった動画がこちら。
- アウトプットが苦手な人なんていない。ただやり慣れていないだけ。
- 最初はダメダメでも、とにかく繰り返していれば人並み以上にできるようになる
- アウトプットが得意になると、人生イージーモードになる。
- 見たり聞いたりしても、自分で発信しなければ意味がない。
アウトプットが苦手な人なんていない。ただやり慣れていないだけ。
ぼくも、自分はアウトプットが苦手だとずっと思っていました。
自分から話しているときは、話しているうちに何が言いたいのかわからなくなってしまったり、話もまとまっていないまま話してしまい、相手に???な思いをさせてしまったりすることもありました。
ブログも全然書けねえし...
でも、それはただ今までやってこなかったからできないだけだということに気づきました。
やり方も分かっていないのに、自分は苦手だと決めつけていたんです。
最初はダメダメでも、とにかく繰り返していけば人並み以上にできるようになる。
おそらく、ブログに限らず何事も成長スピードは指数関数的に大きくなるんだなと思います。
実力を数字で表すとすると、
0.1、0.2、・・・、1.0→1.0、2.0、・・・、10.0→10.0、20.0、・・・、100→100、200・・・
みたいな感じで。
でも、多くの人は成長スピードの遅い時点であきらめてしまい、もっと成長スピードが大きくなって楽しくなってくるころにまでたどりつけないのではないかとぼくは考えています。
だから、最初は全然できなくてつまらなくてもとにかく続ける。
もし、どうしても苦行なら、それは自分がやりたいことではないのかもしれません。
アウトプットが得意になると、人生イージーモードになる。
アウトプットする手段は簡単にできる方法から人を選ぶような難しい方法までたくさんあります。
簡単にできること・・・人に話す。ツイッターでつぶやく。ブログに書く。動画を投稿する。など
人を選ぶ難しいこと・・・音楽を作る。絵を描く。詩を書く。デザインする。など
そして、アウトプットしたものはお金を生む資産になり得ます。
ブログや動画は、人を集めることができ、広告収入を得られるようになる。
音楽や絵もお金を生み出せるし、人に話すことが得意になれば仕事の幅広がる。
ぼくが想像し得るのはこのあたりですが、アウトプットが得意になれば人生においてとても有利にはたらくといえるでしょう。
見たり聞いたりしても、自分で発信しなければ意味がない。
ソーシャルゲームはデメリットしかない? 僕の場合、ギターの練習やブログをやらなくなってしまうかもしれない...
しばらく断っていたのに、ソーシャルゲームアプリを再び入れてしまった...
ソーシャルゲームはただ時間とお金を浪費して何も生み出さないものだという認識をもっているため、ここ最近はずっとスマホにソーシャルゲームアプリを入れていませんでした。
ところが...
最近、ワンピースのトレジャークルーズというアプリを入れてしまいました...
ちょっと時間に空きができて、何もすることがなかった時にふと、久しぶりにトレジャークルーズでリセマラしてみるかと思い立ってしまったのです。
リセマラとは、いいキャラが出るまで何度もやり直すことなんですが、ぼくは高校生のころにパズドラやモンストなどのゲームでよくリセマラをしていました。
ぼくはその手のゲームではキャラを育成して難しいダンジョンをクリアすることよりも、ガチャを引いて超レアなキャラを出すことに楽しみを感じていました。
この手のゲームって、最初のチュートリアルが終わればガチャが引けるじゃないですか?
それで、何度も何度もガチャを引いてはよっしゃ、ええの出た!と喜んでいたわけです。(笑)
今回も、運が良くか悪くか...いいキャラが当たってしまいました。
またソーシャルゲームをやろうとしている自分に、ソーシャルゲームのデメリットを突きつける
時間を無駄にするとわかっていても、せっかくいいキャラが出たのにアプリを消すのはもったいないし、このままゲームを進めたいと思ってしまう...(どうせ飽きるくせに(笑))
そして、なによりも怖いのは、ソーシャルゲームで遊んだ結果、ぼくの場合だと今こうやって書いているブログやギターの練習に手をつけなくなってしまうかもしれないことなんです。
というわけで、再びソーシャルゲームをやろうとしている自分にソーシャルゲームのデメリットを突きつけるつもりで、以下のような2つのソーシャルゲームのデメリットを書いていきます。
-
時間の無駄
-
他のことをやる気力がなくなる
ぼくが恐れている、ブログやギターの練習に手をつけなくなってしまうのは2つ目のデメリットになります。
ソーシャルゲームはとにかく時間の無駄。
ソーシャルゲームのデメリットといえば、時間の無駄だということがまず浮かびます。
例えば、休みの日。こんなことがありませんか?
一日中ソーシャルゲームで遊びっぱなし。日が沈んでから、「あぁ、自分は何をしていたんだろう。携帯ばっかり触っていないでもっと有意義な休日を過ごせばよかった。」って後悔したこと。
そう思わないならそんな休日の過ごし方でもいいですが、ぼくにとっては無駄な時間を過ごしているとしか思えません。
ぼくは割と飽き性な方なので、あるソーシャルゲームにめっちゃくちゃハマったとしても数日もしないうちにスッと冷めるんですよ。
それで、あんなにソーシャルゲームに打ち込んでた時間は何だったの?ただの無駄じゃねーかってなっちゃいます。
ぼくにとったら、結局飽きるんならやらない方がましだということです。
ソーシャルゲームをやればほかのことをやる気がなくなる
続いて2つ目のデメリットは、人のやる気のもととなるドーパミンが関わってきます。
ソーシャルゲームは、ドーパミンが出るように作られている
こんな話を聞いたことがあります。
「ソーシャルゲームは、ドーパミンが出るように作られている。」
人の脳内でドーパミンが分泌されると、喜びに満ち溢れとても幸せな気持ちになります。
人は喜びや幸せな気持ちを得るために行動を起こしていることが少なくなくありません。
しかし、ソーシャルゲームで簡単に喜びや幸せな気持ちを得られてしまうと、人はそれらに強く依存してしまいます。
そして、やればやるほどハマっていき、課金をするようになる...
ぼくは、ソーシャルゲームはもはやドラッグと同じようなものと捉えています。
企業はソーシャルゲームをドーパミンが出るように作ることによって、人々をハマらせてお金を儲けているのです。
ある意味、人の喜びや幸せな気持ちを支配してお金を吸い取っていると言えなくもありません。
そして、一番心配なのは、ソーシャルゲームで簡単に喜びや幸せな気持ちを得られてしまうと、ソーシャルゲーム以外のことにやる気が起きなくなってしまうのではないかということです。
新しく始めたものはドーパミンが出にくいため、手をつけにくくなってしまう
先ほど、人は喜びや幸せな気持ちを得るために行動を起こしていることが少なくないと言いました。
実際にこれからやろうとすることが、ドーパミンが分泌されるようなことなのかどうかによってやる気が起きるか起きないかも変わってくるんじゃないでしょうか?
また、ドーパミンが分泌される量が少ないことと、ドーパミンが分泌される量が多いことでは、おそらく後者の方がやる気が出るはずです。
ぼくがソーシャルゲームをやることによってブログやギターの練習をやらなくなってしまうのではないかと考えた理由はコレです。
ブログやギターは、自分が本格的に取り掛かり始めてからまだ日が浅いため、うまくいくことも少なく分泌されるドーパミンの量が少ないはず。
それに対して、ドーパミンが出るように作られているソーシャルゲームの方が分泌されるドーパミンの量が多いため、ブログやギターの練習をするやる気がなくなってしまうと考えました。
つまり、新しく始めたものはドーパミンが出にくいため、それ以上にドーパミンが分泌されるソーシャルゲームについつい手が伸びてしまうということです。
追記
この記事を下書きで保存した日の1日後、無事アプリを消しましたとさ。
もしまたソーシャルゲームを入れるようなことがあったらこの記事を見返したいと思います。
調子が悪い日があるのは、あなただけじゃない。
今日は調子が悪い。自分はなんてダメな人間なんだと思うことはありませんか?
調子が悪い日って予告なく突然来ますよね。
そして、調子のいい日と比べてすごく落ち込んでしまうという負の連鎖。
意識高くがんばっている人たちのSNSや、うまくいっている人たちを見ては調子の悪い自分と比べて「調子が悪い日にはこんな過ごし方をしている自分はなんてダメな人間なんだ。」と思うこともあるはずです。
ぼくも、ブログを続けたいと思いつつも、調子が悪くて何もやる気が起きない日はダラダラYoutubeを見て過ごしてしまい、意識高くがんばっている人たちのSNSの更新通知が来るたび自分はなんてダメな人間なんだと思ってしまうことがあります。
「いつも調子が良かったらいいのに」は、叶いもしない高望みなのかもしれない
調子が悪い日が来ると「いつも調子が良かったらいいのに」と思ってしまうことがあります。
でもそれは、叶いもしない高望みなのではないか?とぼくは最近思うのです。
なぜなら、いつも調子が良いなんてことはありえないと気づいたからです。
だって、人間は不完全な生き物だから。
調子が良い日もあれば、調子が悪い日だってあります。
常に調子が良い人なんて、人間じゃないとぼくは思います。
人間は不完全な生き物だと認めることができれば、余計な力が抜けてむしろうまくいく
おそらく、多くの人が人間は不完全な生き物だと認めることができていないのではないでしょうか。
というか、そもそもそんなことを考えたことがないという方もいらっしゃるかもしれません。
もし、自分の調子が思わしくない日々が続いていて、何をしてもうまくいかない...と苦しんでいる方がいらっしゃれば、人間は不完全な生き物だと認めてみたらどうでしょうか?
そうすれば、うまくいっている人と自分を比べて自分を卑下することもなくなるし、たとえ毎日調子がよく見える人にだって調子が悪い日があることを理解することができます。
なにより、人間は不完全な生き物だと認めることで人と比べることが無くなり、余計な力が抜けて楽に生きられる!
むしろ、調子が悪いけどうまくやらなきゃいけないと思う方がかえって無駄に力が入ってしまい余計にうまくいかないなんてこともあるんじゃないのかなーなんて思います。
調子が悪い日にするべきこと
ここまでを踏まえて、ぼくが思う調子が悪い日にするべきことをお教えします。
とってもシンプル。この2つだけです。
- 毎日続けたいと思っていることがあれば、うまくいかなくてもいいからとりあえずやる。途中でやめてもよい。
- 思いっきり休む
楽器の練習だったらワンフレーズだけでも弾く。まったく楽器を触らないよりも確実に前には進んでいるんですから。
続けたいと思っていることを少しやって、もう今日はダメだと思ったら思いっきり休みましょう。
そうやっていれば、また調子の良い日がやってきます。